レオとわたしの闘病記 3 ー耳が聞こえないー

レオとわたしの闘病記3 ー耳が聞こえないー


 

前回は右耳が臭い疑惑でレオに追いかけられ、

ある日の朝には 右耳が聞こえなくなっていたところまでお話しましたね。

 

 

その原因は信じられないものでした。

 

まさか、自分がなるなんて・・・

 


 

「ねぇ、私、右耳が聞こえないみたい」

 

驚いた母は、一瞬何を言われているのか理解できず少しの間沈黙し、

 

「突発性難聴かしらね…?」

 

と、不安そうに応えた。

 

 

思い返せば耳が聞こえなくなるまでの約半年間、

とんでもなく忙しかった。

 

当時勤めていた会社では、

マーケティングマネージャーだった上司が心の病にかかってしまい、

大きなプロジェクトを開催直前に出社拒否して投げ出し、そのまま退職。

 

本来の自分の仕事に加えて彼の仕事が私の肩にのしかかってきた。

 

最初は毎日残業でほぼ終電。

 

そのうち土日出社・・・

 

勤め先は結果主義な米国外資系企業だったから、数字をあげていないと査定に響くから必死だった。

 

でも、やりがいがとてもあったからそれなりに楽しかった。

 

やればやるほどスキルが上がって評価もされたし、お客様に喜んでもらえていたし。

 

 

「そんな生活をしていたんだもの、突発性難聴になっても無理はないよね~」

 

と、母と気楽に話し、

 

「突発性難聴になったっぽくて聞こえないので、耳鼻科に寄ってから行きまーす」と、

 

会社に軽く電話をして 地元の小さな耳鼻科に行った。

 

 

診察に入り、耳の中を覗いた医師が、

 

「目眩とか耳鳴りとかありませんでしたか?」と・・・

 

あまりの忙しさに満身創痍で、そんな症状なんてあったか覚えていなかった。

 

 

そして、

 

「耳の奥に腫瘍が見えます。

 鼓膜は溶かされて殆ど無く、腫瘍が溢れ出ています。

 もっと早く気づけていたら・・・」

 

と・・・

 

あの職場の歴代の先輩マーケッター達は、心臓病や鬱病等で辞めていた。

 

でも、私は病気になることなくタフにこなしていたから体力に自信があった。

 

それだけに腫瘍だなんて信じられなかった。

 

 

早くしないと死に至るとのことで紹介状を持たされた。

 

病院からは二つの病院を案内され、一刻も早く手術をとのことで、

近くの脳神経外科系の病院を紹介されたが、

もう一つの方がしっかりしていると母が言い出し、

普通に予約を取ったら何週間後になるかというところを緊急外来で押し掛けてみた(笑)

 

緊急とのことで診てもらえ、検査を受けた。

 

 

その結果は酷く進行しており、

そこの病院ではお手上げと言われて違う専門医がいる病院に更に転院になった。

 

 

。。。つづく

当時、私が企画・運営したセミナーのオランダ系アフリカ人講師と。

関東と関西の二大都市ツアーで、総動員数は200名ぐらいの小さなセミナーでした。

私が携わったセミナーでは少ない方だったけれど満員御礼で評判が良かった企画。

 

この時も耳が聞こえていなく、 病気の事を知った講師が、セミナーの最後に 『このセミナーをアレンジしてくれたリナに感謝』 と、サプライズのスライドを一枚入れてくれていました。

思い出すと今でも泣けます。。。

体を壊してしまったけれど、 あの会社の仕事は楽しかったし好きでした。

Baie dankie. (アフリカの言葉で「ありがとう」)