レオとわたしの闘病記 4 ー来年も同じ桜の下でー

レオとわたしの闘病記4 ―来年も同じ桜の下で―


病気はいろんなことを教えてくれます。

 

健康であることの有り難さはもちろん、

命の尊さや、家族や大切な人の掛け替えのなさや、その温もり。

 

辛かったり悲しい想いをするけれど、病気の全てが悪くはないはず。

 

でもね、 親不孝なことをしてしまったな・・・

 

と、春が来る度に想うのです。

 

今回は、そんな右耳が聞こえなかった時の、ある春の日の話しです。 

 


 

3件目への病院の紹介状と検査結果を渡され、

「なんか心配だから着いていく」と言ってくれた父と一緒に行った。

 

検査を全て終えて一人で診察室に入り、 自分の頭部の写真等を見ながら 医師から話しを聞いた。

 

 

「酷く進行していて開けてみないとわからない」

 

「助かったとしても聴力の回復は厳しく、 味覚障害や顔面麻痺も残るだろう」

 

と、厳しい診断だった。

 

 

家族の顔を思い出し、「私はまだまだ生きる。頑張る。」 と思う一方で、

障害や顔面麻痺を負ってまで 生きる事に疑問を感じたり、

ここで死ねたら、仕事に忙殺された生活に 終止符を打って楽になれるかな・・・

 

と、今思えば親不孝なことを考えていた。

 

ワーカーホリックで充実していた一方で、

「この生活がいつまで続くのかな・・・」と思ったこともあったからね・・・(^_^;

 

 

手術の同意書に家族の署名が必要とのことで、待合室にいた父を呼んだ。

 

画像を見ながら説明を聞いた父は頭が真っ白になって混乱し、

うな垂れて深くため息をついて「そうですか・・・」と一言しか言葉が出なかった。

 

そして同意書に弱々しくサインをする落ち込んだ父を見て、

数分前に少しでも死ぬことを考えた自分を呪った。

 

後から母から聞いたのだけれど、

 

「神様、どうして?」「俺が代わってやりたい」

 

と、私がいないところで嘆いていたとか・・・

 

 

親不孝な娘でごめんね。

 

今でも思い出すと心が痛みます。

 

 

 

レオが右耳を舐め始めてから一月以上が経ち、気がつけば桜の季節になっていた。

 

そして、毎年、母とレオと見に行っている新水緑道の桜並木をまた一緒に歩いた。

 

 

 

満開の桜を見上げながら母が

 

 

「来年も一緒に見に来ようね」

 

 

と言った。

 

 

父のように落ち込んだ姿を見せないけれど、本当は心配で辛かったんだろうな・・・

 

 

「うん、来年もね!」と、レオと母に元気になることを約束した。

 

 

 

 

私は生きる

 

 

 

 

。。。つづく

写真は、一緒に桜並木を歩いて 生きることを誓った日のレオと私。

私の体が少し左下がりになっているのがわかりますか…?

右膝は伸びているのに左膝は曲がっているの。

右耳が聞こえないから左耳を傾ける癖がありました。

 

撮影:リナママ